SSブログ
2011・3・11 ブログトップ

~追記の追記~あれから丸3年。 [2011・3・11]

今、私たち家族は、あの震災の起こる前と殆ど変らない生活を送っている。知り合いの家は半壊した。暫くはそのまま住んでいたが、やはり危ないということで工事を決めた。結局は建て替えに近い状態だったと言っていた。隣の家は無事だったのに、とも。私の家の前方のある一軒家。そこの屋根だけが、未だにプルーシートがかけられたまま。だいぶ古くなった感じで。既に住人はいない。これらのことを思ったり見たりする度、やはり、あの日のことを鮮明に思い出す。生活は戻っても、心の中は震災が起こる以前とは違う。それでも、明るく笑って、これからを生きて行こう。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

~追記~あれから丸3年。 [2011・3・11]

もう間もなく、“あの”時刻だ。東日本大震災三周年追悼式も始まる。数日前から今日までに、各チャンネルでは、あの日のことから現在に至ることの番組を放送している。天皇陛下。皇后さま。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

~おわりに~あれから丸3年。 [2011・3・11]

夜が少し明けてきた頃、単身赴任先から夫が帰ってきた。玄関を開けたら、娘二人と私が布団を引いて寝ていたので、夫はうおっ!といって驚いた。いつもの倍ほどの時間をかけ車できたという。道路は至ることろが崩れ信号は全て止まっていたとのこと。事故なく戻ってこれて、ほっとした。朝になり、部屋の中に入ると、タンスがずれていたり、食器棚が開いていて、お皿が少し落ちて割れていたり、フライパンもガス台から落ちてへこんでいたり。そんな中、社宅建物の崩壊はなかった。ただ3・4階は1階に比べると、もう少し酷かったようだ。
その後この辺りの人たち、そして私たち家族は約1ヶ月ほどの被災生活を送ったが、1週間ほどで電気が通り、次にガス・水道と通り、少しずつ普段の生活に戻ることが出来た。が、ニュースでの本当に辛い映像を見て、言葉を失くす変わりに涙が溢れた。ただただ見つめるだけだった。私たち家族も多少の被災をしたが、もっともっと悲しく苦しい思いをした沢山の人たち、そして今も続く復興の進まないこの状況を、他人事と思ってはいけないと思う。あの日のことを、私はけっして忘れない。これからも忘れて行かないために、一度、きちんと書き置こうと思ったのだ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

続・続・続・あれから丸3年。 [2011・3・11]

家に入ると停電だ。玄関に置いてあった懐中電灯には、電池が入ってない。3台の携帯で明かりを取るしかない。二人の娘は怖いしすぐ逃げられないと奥の部屋には行きたがらず、玄関に布団を持ってきて引いた。息子は歩いて帰ってきたのが相当疲れたらしく、2段ベッドの下の自分の寝床に入り、余震が続くあのさ中、朝まで一人熟睡していた。その内、携帯の充電が1台目は切れ、2台目が切れ、ついに3台目も切れた。後はたまに通る車のヘッドライトが子供部屋の窓から玄関に差し込んで来るだけ。暗闇の中、私たち女性陣(チビ娘は夜中過ぎにはさすがに眠ったが)は、余震の度にぎゃーぎゃー言いながら夜を過ごした。     --続
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

続・続・あれから丸3年。 [2011・3・11]

気持ちがちょっとだけ落ち着いた頃、あっ高2の娘・息子はどうやって帰ってくるの?と思う。携帯に電話してもなかなか繋がらない。何度もかけ直しながら1時間が経ったころだろうか、やっと息子の電話が繋がった。今どこ。もう着く。えっ?と思い辺りを見渡すと、駐車場から短い階段で上がる裏門の方から歩いてくる姿が。あぁ無事だ。怪我もない。いつも自転車通学の息子。聞くと、危ないから乗るなと先生から言われたという。あぁ~疲れたぁ~~小1時間ほどかけて歩いて帰ってきた。強い地震は収まってきたようだということで、一旦家に入ろうということに。でもまだ娘と電話が繋がらない。電車通学なので、帰ってこれないのか。車もなくペーパードライバーの私は、迎えに行くことすら出来ない。心配している中、どれくらい経っていただろうか。娘が帰ってきた。どうやら近所に住む、幼稚園の時からの同級生の女の子のお母さんが車で迎えにきて、娘も一緒に乗せて連れてきてくれたのだ。もう大感謝だ。    --続
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

続・あれから丸3年。 [2011・3・11]

少し震度が弱まった時、チビ娘に外に行こうと言って机を抜け出した。玄関を出て階段を下りると、小さなロータリーがあり、そこに社宅の奥さんたちが何人かいて、徐々に集まってきた。小さい子供は何人もいて、中には妊婦さんも。断続的にゴゴ―という音と共に地震が起こり、家の中には戻れない。だんだん日も暮れて、足元や背中から寒さがくる。一人の妊婦さんはラフな服装のまま外に出てきたため、薄着で靴下も履いてなかった。4階の部屋ということで、取りに行くのはかなり危険。私も含めた1階の住人が靴下や上着など持ち寄った。余震が続く中、暗くなりあまりに寒くなったので、一人の奥さんが、冷やしてはいけないとt妊婦さんに車に乗ってと暖房をつけてあげた。子供たちは元気だ。     --続
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あれから丸3年。 [2011・3・11]

あの日は、玄関から入ってすぐ右側の高2(当時)の娘・息子の部屋に置いてあるPCを、いつものように見ていた。すると何やらグラグラと。地震?この部屋の先にダイニングがあり、その奥の部屋でテレビを見ていた4歳(当時)の娘が、ママァ~~と不安げに呼びながら、こちらへ近づいてきていたので急いでその腕を引き、場所が高校生の子供部屋だっただけに、丁度あった机の下へ。ちょっと揺れが大きいな。あれっ?長いぞ。凄い揺れだ。ここ1階(4階建ての社宅)だし。このまま死んじゃうのかな。。。チビ娘は状況がよく分からず、ヤダヤダと言って机の下から出ようとする。それを抱きしめながら、でもそれ以上どうすることも出来ず、その場に留まるしかなかった。   -ー続
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
2011・3・11 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。